目の前では、零が黙々と板チョコをかじっていて、その甘ったるいにおいが、部屋中にひろがっている。ぱき、ぱき、と不規則に聞こえる音に、いい加減うんざりした。
「零、ほんとチョコ食い過ぎ。太るぞ」
「大丈夫。ご飯食べてないから。後元からデブだ」
むしろこれがご飯だから、なんて言う零に、ほとほと呆れ返った。どう見てもそれはただのお菓子デスケド。
「ふーちゃんだってさ、同じもの続けて食うことあるでしょ?」
「そりゃあるけど、にしたって限度ってもんがあるでしょうよ」
俺の知る限り、もう一週間以上もそんな食生活を続けている。えへへ、なんて可愛く笑っても無駄だ。いくらなんでも健康状態が心配すぎる。お前料理できるだろ。俺だって、たまに自炊をするくらいで、別に栄養管理をしっかりしているわけでもなければ、カロリー計算に精を出しているわけでもない。それでも、三食すべてをチョコで済まそうとする零には、説教するだけの権利があると思う。
「お前さ、それ、もう中毒みたいじゃん」
なんの気なしに言った言葉だったけれど、自分のなかで妙に納得してしまった。中毒。確かに今の零は、チョコレート中毒そのものだ。
「それ、やっぱよくないと思うよ」
試しに今日一日断ってみようぜ、と右手を差し出しても、零は迷った様子でちらちらと視線を逸らすだけだ。半ば強引にその手に握られた板チョコを奪い取れば、あ、と情けない声を出された。
「ハイ、頑張って中毒治しましょうねぇ」
「……」
なにやらかなり不服そうだ。いいじゃん誰にも迷惑かけてないし、とでも言いたげな様子に、ごつん、と頭を小突いておいた。
頼むから、お前はもっと食べ物に気を遣ってくれ。
「いいか?今日一日は絶対にチョコ禁止だからな」
わかってんだろうなぁ、と冗談めかして凄めば、零は自信がなさそうに曖昧に笑った。ふーちゃんだってアル中毒じゃないの、なんてふざけたことを言ってきたが、俺は三食酒だけで過ごしたりしないし、そもそもアル中じゃねーよ。アホか…
「あー、駄目だ。もう口寂しい」
「はぇ?我慢して」
そんなに気にかかるなら、いっそ昼寝でもしてればいいだろ。はじめはうだうだと渋っていた零も、一向にチョコを差し出さない俺にとうとう諦めたらしく、投げ遣りに自分の腕を枕にしてねころがった。3分もしないうちに聞こえてきた寝息に、すこしだけ呆れる。お前って、ほんとどこでも寝れるのな。
俺も一緒になって寝てもよかったのだけれど、なんだかそんな気分にもならなかったので、作業部屋で絵を描く整備をしていることにした。さて移動しようと立ち上がったとき、ふと思い当たる。もしかしたらこいつ、取り上げたのと他にチョコ持ってきてるかも。
人の荷物を勝手に漁るのは些か気が引けたけれど、しょうがない。零が持ってきた小さめのワンショルダーバッグをごそごそと覗いたら、未開封の板チョコが3枚も入っていた。
「持って来すぎだろ……」
これ、全部食う気だったのだろうか。いやまさかそんな馬鹿な。
とりあえずきっちりと没収しておいて、零を起こさないようにゆっくりとリビングをあとにした。
チョコレート中毒なるものは、どうやら実際に存在しているらしい。整備の片手間に、携帯で検索していたらいくつか記事がヒットした。
麻薬並みの依存性、だなんて若干おそろしいことも書いてあって、ぞくりと背筋が寒くなる。多少大袈裟に書かれているんだろうけれど、冗談じゃないくらいには怖いわ。
ふぅ、とひとつ溜め息をつく。やはり、今後のためにもいくつか知識を入れておくべきだろう。こういう影の努力が、結果的に人をひとり救うことになるのだ。
作業部屋の扉が唐突に開いたのは、それから4時間ほど経ったあとのことだった。
普段なら絶対にノックをしてくるのに、それもなしに入ってくるなんて珍しい。なにかあったのか、と心配になった。実際、扉を開いて足を踏み入れてきた零は、至極切羽詰まったような顔をしていた。
「な、なに、なしたの?」
戸惑う俺をよそに、零は怖いくらいに真剣な、そして切なそうな表情のまま、俺の肩をギリギリと掴んだ。
「い、痛いって」
「……ね、ねぇ」
心なしか息も荒い。大丈夫かこいつ。
「チョコ、どこやったの」
「え」
「わたし、あれがないと、も、たべたい」
目には涙が溜まっていて、きょろきょろと忙しく泳いでいる。なにやらやけに落ち着かない様子だ。苛々しているのか、眉間には珍しくシワがよっていて、きつく噛み締められた唇には、うっすらと血が滲んでいる。
あまりにも必死な零を見て、かなりの危機感を覚えた。まさかここまで中毒症状が進行していたとは。
同時に、絶対にやめさせなきゃいけない、と決意を新たにする。
「今日一日は禁止って言っただろ?」
「でも」
う、う、と唸る様子は本当に苦しそうで、痛々しくて、切なくなった。何故か泣きそうになるのを必死に堪えながら、重苦しい空気を変えようと、零が少しでも笑えるようにと、おどけて言ってみせた。
「ねえ知ってる?」
なにを、と、零は相変わらず苦しそうに訊いてくる。
「チョコレート舐める人って、欲求不満な人が多いらしいぜ」
さっき調べていて知った知識だ。本当かなんて知らない。あるいはネット特有のふざけた都市伝説かもしれないが零の気が紛れるならば、そんなことはどうでもよかった。
「なんか、キスと似てるんだってさ」
チョコの口溶けが、と、俺は言えなかった。
気がついたときには、零の顔がぐん、と迫ってきていて、強引に口を塞がれていた。驚いて身を引くけれど、また無理矢理引き寄せられる。口のなかが、チョコレートの甘ったるいにおいでいっぱいになる。
零の舌が、まるで飢えをしのぐみたいに俺を求めてくる。ガツガツ、という表現がぴったり合うような激しいキスだった。チョコレートよろしく食われちゃうんじゃないか、なんて、恥ずかしいことを少しだけ考えた。
「ん、っ……」
思わず声がもれてしまう。どうにか息を吸いたくて逃げ惑ってみても、なにも意味はなかった。俺の舌が零の口内とぶつかる度に、チョコレートの味がする。キス自体は激しくて獰猛なのに、あまりにも甘い味がするものだから、不釣り合いな気がして少しだけ不思議な気持ちになった。
こっそりと目を閉じる。
変なの。全部変だな。おかしいな。
お前がチョコレート中毒なのも、そんなに慌ててるのも、俺とお前がキスしてるのも、味と激しさのギャップも、全部全部。
なぜか嫌な気がしないのも、変だ。気持ちいい気がするのも変だ。おかしいことだらけだな、な。
ようやく口が離れたとき、零はさっきよりは余裕を取り戻したらしかった。理性も戻ってきたらしく、ひどく気まずそうに、申し訳なさそうにこちらを見てきたので、いつもみたいに不敵に笑ってやったら、ゆっくりと目を逸らされた。あれ。少しだけ残念に思う。
まあ、いい。
胸の奥でちらつくなにかがあったけれど、あえて気がつかないふりをした。理由をはっきりさせるのは、別に今じゃなくてもいいだろう。
「俺も、チョコレート中毒になっちゃったかもしれない」
はにかみながらそう言えば、零は、なにを言っているのかわからない、とでも言いたげに首をかしげた。
「零、ほんとチョコ食い過ぎ。太るぞ」
「大丈夫。ご飯食べてないから。後元からデブだ」
むしろこれがご飯だから、なんて言う零に、ほとほと呆れ返った。どう見てもそれはただのお菓子デスケド。
「ふーちゃんだってさ、同じもの続けて食うことあるでしょ?」
「そりゃあるけど、にしたって限度ってもんがあるでしょうよ」
俺の知る限り、もう一週間以上もそんな食生活を続けている。えへへ、なんて可愛く笑っても無駄だ。いくらなんでも健康状態が心配すぎる。お前料理できるだろ。俺だって、たまに自炊をするくらいで、別に栄養管理をしっかりしているわけでもなければ、カロリー計算に精を出しているわけでもない。それでも、三食すべてをチョコで済まそうとする零には、説教するだけの権利があると思う。
「お前さ、それ、もう中毒みたいじゃん」
なんの気なしに言った言葉だったけれど、自分のなかで妙に納得してしまった。中毒。確かに今の零は、チョコレート中毒そのものだ。
「それ、やっぱよくないと思うよ」
試しに今日一日断ってみようぜ、と右手を差し出しても、零は迷った様子でちらちらと視線を逸らすだけだ。半ば強引にその手に握られた板チョコを奪い取れば、あ、と情けない声を出された。
「ハイ、頑張って中毒治しましょうねぇ」
「……」
なにやらかなり不服そうだ。いいじゃん誰にも迷惑かけてないし、とでも言いたげな様子に、ごつん、と頭を小突いておいた。
頼むから、お前はもっと食べ物に気を遣ってくれ。
「いいか?今日一日は絶対にチョコ禁止だからな」
わかってんだろうなぁ、と冗談めかして凄めば、零は自信がなさそうに曖昧に笑った。ふーちゃんだってアル中毒じゃないの、なんてふざけたことを言ってきたが、俺は三食酒だけで過ごしたりしないし、そもそもアル中じゃねーよ。アホか…
「あー、駄目だ。もう口寂しい」
「はぇ?我慢して」
そんなに気にかかるなら、いっそ昼寝でもしてればいいだろ。はじめはうだうだと渋っていた零も、一向にチョコを差し出さない俺にとうとう諦めたらしく、投げ遣りに自分の腕を枕にしてねころがった。3分もしないうちに聞こえてきた寝息に、すこしだけ呆れる。お前って、ほんとどこでも寝れるのな。
俺も一緒になって寝てもよかったのだけれど、なんだかそんな気分にもならなかったので、作業部屋で絵を描く整備をしていることにした。さて移動しようと立ち上がったとき、ふと思い当たる。もしかしたらこいつ、取り上げたのと他にチョコ持ってきてるかも。
人の荷物を勝手に漁るのは些か気が引けたけれど、しょうがない。零が持ってきた小さめのワンショルダーバッグをごそごそと覗いたら、未開封の板チョコが3枚も入っていた。
「持って来すぎだろ……」
これ、全部食う気だったのだろうか。いやまさかそんな馬鹿な。
とりあえずきっちりと没収しておいて、零を起こさないようにゆっくりとリビングをあとにした。
チョコレート中毒なるものは、どうやら実際に存在しているらしい。整備の片手間に、携帯で検索していたらいくつか記事がヒットした。
麻薬並みの依存性、だなんて若干おそろしいことも書いてあって、ぞくりと背筋が寒くなる。多少大袈裟に書かれているんだろうけれど、冗談じゃないくらいには怖いわ。
ふぅ、とひとつ溜め息をつく。やはり、今後のためにもいくつか知識を入れておくべきだろう。こういう影の努力が、結果的に人をひとり救うことになるのだ。
作業部屋の扉が唐突に開いたのは、それから4時間ほど経ったあとのことだった。
普段なら絶対にノックをしてくるのに、それもなしに入ってくるなんて珍しい。なにかあったのか、と心配になった。実際、扉を開いて足を踏み入れてきた零は、至極切羽詰まったような顔をしていた。
「な、なに、なしたの?」
戸惑う俺をよそに、零は怖いくらいに真剣な、そして切なそうな表情のまま、俺の肩をギリギリと掴んだ。
「い、痛いって」
「……ね、ねぇ」
心なしか息も荒い。大丈夫かこいつ。
「チョコ、どこやったの」
「え」
「わたし、あれがないと、も、たべたい」
目には涙が溜まっていて、きょろきょろと忙しく泳いでいる。なにやらやけに落ち着かない様子だ。苛々しているのか、眉間には珍しくシワがよっていて、きつく噛み締められた唇には、うっすらと血が滲んでいる。
あまりにも必死な零を見て、かなりの危機感を覚えた。まさかここまで中毒症状が進行していたとは。
同時に、絶対にやめさせなきゃいけない、と決意を新たにする。
「今日一日は禁止って言っただろ?」
「でも」
う、う、と唸る様子は本当に苦しそうで、痛々しくて、切なくなった。何故か泣きそうになるのを必死に堪えながら、重苦しい空気を変えようと、零が少しでも笑えるようにと、おどけて言ってみせた。
「ねえ知ってる?」
なにを、と、零は相変わらず苦しそうに訊いてくる。
「チョコレート舐める人って、欲求不満な人が多いらしいぜ」
さっき調べていて知った知識だ。本当かなんて知らない。あるいはネット特有のふざけた都市伝説かもしれないが零の気が紛れるならば、そんなことはどうでもよかった。
「なんか、キスと似てるんだってさ」
チョコの口溶けが、と、俺は言えなかった。
気がついたときには、零の顔がぐん、と迫ってきていて、強引に口を塞がれていた。驚いて身を引くけれど、また無理矢理引き寄せられる。口のなかが、チョコレートの甘ったるいにおいでいっぱいになる。
零の舌が、まるで飢えをしのぐみたいに俺を求めてくる。ガツガツ、という表現がぴったり合うような激しいキスだった。チョコレートよろしく食われちゃうんじゃないか、なんて、恥ずかしいことを少しだけ考えた。
「ん、っ……」
思わず声がもれてしまう。どうにか息を吸いたくて逃げ惑ってみても、なにも意味はなかった。俺の舌が零の口内とぶつかる度に、チョコレートの味がする。キス自体は激しくて獰猛なのに、あまりにも甘い味がするものだから、不釣り合いな気がして少しだけ不思議な気持ちになった。
こっそりと目を閉じる。
変なの。全部変だな。おかしいな。
お前がチョコレート中毒なのも、そんなに慌ててるのも、俺とお前がキスしてるのも、味と激しさのギャップも、全部全部。
なぜか嫌な気がしないのも、変だ。気持ちいい気がするのも変だ。おかしいことだらけだな、な。
ようやく口が離れたとき、零はさっきよりは余裕を取り戻したらしかった。理性も戻ってきたらしく、ひどく気まずそうに、申し訳なさそうにこちらを見てきたので、いつもみたいに不敵に笑ってやったら、ゆっくりと目を逸らされた。あれ。少しだけ残念に思う。
まあ、いい。
胸の奥でちらつくなにかがあったけれど、あえて気がつかないふりをした。理由をはっきりさせるのは、別に今じゃなくてもいいだろう。
「俺も、チョコレート中毒になっちゃったかもしれない」
はにかみながらそう言えば、零は、なにを言っているのかわからない、とでも言いたげに首をかしげた。
スポンサードリンク